≪私には、大切にしている友人がいる≫

 中国・上海市に住む「高原」さんもその一人だ。

彼女は、上海市にある日系の監査法人に勤めている。

女性の年齢を言うと失礼だが、今年35歳の“新米ママ”である。

本人は、「いき遅れた」と言うが、一昨年、同じ大学出身ご主人と結婚。

新婚旅行で日本を訪れた際、わざわざ私を訪ねてくれた。

 振り返ると、彼女との出会いは2008年12月の寒い寒いころ。

私が、上海市にある日系監査法人(M社)に仕事の依頼を受け、そこで約6ヶ月間、仕事をしたのが始まり。

彼女はM社の社員で、約5ヶ月間、私の通訳兼アシスタントをしてくれた。

彼女の日本語は、とても流暢である。

日本語の漢字も、驚くほどよく知っている。

彼女は、京都大学・大学院を卒業後、日本の一流建機メーカで5年間勤務している。

その時の仕事は、生産技術的な内容が主体で、ここでの経験が今の彼女のベースになっている。

彼女とは、考え方の発想が似ていて、私の仕事の進め方をよく理解してくれ大変やりやすかった。

日本で私が社員を採用する時、こんな人を採用すれば仕事が楽になると思った。

(めったにいないと思うが。)

 先月末、私はお客様の要請で、混山市にある同社工場のモノづくりを改善するために、同市を訪れた。

 出発の数日前、私は「高原」さんに、お土産に何が欲しいかメールした。

メールで、重いものはダメ、軽いものにしてくれと頼んだ。

というのは、以前の彼女は、私が訪中する時いつも“液体洗剤”を土産に要求した。

それも、すぐ無くならないように、大容量のヤツ。

過去私は、重い“液体洗剤”の運び屋をしていたことがある。

 彼女からの返信は、『赤ちゃんのかわいい帽子がいい』。

『それも涼しそうなのがいい』という返信。

・・・母親になったなと感じる。

 私は、子供服を売っているお店探しから始めた。

今まで、そういうお店とは全く無縁。

お店に出掛け、そこで“赤い帽子”と“薄いピンクのパジャマ”を買い求めた。

どちらも、キティちゃんの絵がついたヤツ。

私には子供がいないので、何しろ初めての経験。

選ぶのが難しかった。

だがこれを渡し、彼女が包みを開くときの顔が目に浮かぶ。

きっと喜んでくれるだろう。

 混山市でのお客様の仕事が終わり、以前仕事をさせていただいた彼女の職場へ行く。

約束の時間はAM10:30だが、以外に早く着いた。

時間調整の為、1Fのロビーで時間をつぶす。

彼女の仕事場は、40階建て高層ビルの25階だ。

約束の5分前にエレベータで25Fへ。

受付で案内をお願いする。

受付の女性は、二人とも初めて見る顔。

あれから3年経過している、当然か。

 小さな会議室で待っていると、やがて彼女が総経理のSさんと入室してきた。

彼女は、Sさんにアポイントを取ってくれていたのだ。

3年前、Sさんとは毎朝よく話をした。

Sさんは、私が帰国する時送別会も開いてくれた。

当時の思い出話にはながさく。

お互いの近況報告、中国・周辺諸国・上海市の情報、今後の共同仕事内容等を話し、Sさんは退室。

 彼女にお土産を渡し、再開を喜ぶ。

彼女は包みを解き、大きな声(以前から)で何度も『かわいい、ありがとう』を言ってくれる。

こんなに喜んでもらえて本当に嬉しい。

お昼を一緒に食べることで、いったん別れた。

 昼食は台湾料理。

昔話が尽きない。

こんなことがあった。

私が風邪で寝込んだ時、彼女は“お粥”と“卵焼き”つくって、私の住んでいたマンションへお見舞いに来てくれた。

初めて“卵焼き”をつくったと言っていた。

(エッ、つくったことないの?)・・・これには触れず。

これらがまだ温かく、料理の後、彼女がタクシーを飛ばしてきてくれたことは、容易に想像がついた。

異国の地でふれる優しさに、言葉が無かった。

 M社での仕事を終えた最終日、朝礼で皆さんに挨拶するように言われた。

その話の中で、今回のプロジェクトは、彼女がいなかったら成功しなかった。

このような女性を通訳として私に与えてくれたM社と皆さんに感謝します。

このころには私はもう涙声になっていた。

朝礼の後で「高原」さんが、私の前に並んで話を聞いていた多くの女性も泣いていたと話してくれた。

 思いで話も尽きないが、やがて浦東空港へ行く時間が来た。

やがて空港へ到着。

手続きを済ませ、大きな建物を見ながら機内へ。

短い日程の出張だったが、時間以上に内容の濃いものになった。

ありがとう「高原」さん。

          謝謝   中国にいる永遠のパートナーへ