先日、9月18日(火) 昼過ぎ。
携帯電話が鳴った。 妻からだ。
“もしや・・・”と思う。
一呼吸おいて電話にでる。
「祖母が亡くなった。」と、父が知らせてきたという。
先月から覚悟はしていた。
しかし、知らせを受けた時、暫くは放心状態だった。
どれくらい時間が経ったろう。
我に返り、パソコンをOFFし、机の上を片付ける。
帰宅すると、既に妻が荷物の準備を終えていた。
夕方の新幹線で一路博多へ。
途中、妹の家族と待ち合わせる。
久しぶりに会っても、言葉がでない。
夜、22時40分発のフェリーで対馬へ。
翌朝、自宅につき、荷物もそこそこに祖母の元へ。
祖母は部屋の中央に寝かされ、顔には白い布がかけられていた。
静かに部屋に入り、祖母の肩口にひざまずく。
顔にかけられた白い布をそっとめくる。
そこには101歳を生き抜いた祖母がいた。
色が白い。 皺がほとんどない。
髪がきれいに整えられている。
亡くなる2ヶ月前、それまで数年お世話になったケアセンターから、病院へ移ってきた。
最近の1ヶ月間は、ずっと眠り続けていたという。
亡くなる直前には、多くの涙を流したという祖母。
父はその涙をふき続けたと話してくれた。
どんな思いの涙だったのだろう。
また父は何を思ってその涙を拭いたのか。
101歳というのに、すごくきれいな顔をしている。
両手で顔を何度も何度も撫でてみる。
・・・・・・つめたい・・・・・・
この女性が、小さい頃の私を育ててくれた。
小学校低学年時代、彼女のつくってくれたお弁当の“たまご焼き”の味が忘れられない。
“たまご焼き”を食べる時、この時の味が今でも“うまい”、“まずい”の判断基準になっている。
数年前、どうやってたまごを焼いていたのか聞いたが、もう忘れたと言っていた。
今日はお通夜。 明日がお葬式。
あと二日間しか一緒に居られない。
祭壇の写真は、一昨年のお盆に帰省した時、私が撮影したものだ。
二週間ほど前、父からの連絡で、祖母の写真を3枚選びそれぞれを額に入れて送っておいた。
この写真は、そのなかから皆と相談して選び、最後は母が決めたと父が言っていた。
余談だが、この写真は葬儀の参列者に大変好評だった。
昼過ぎから夜の9時頃まで、弔問のお客様があった。
お仕事でお疲れなのに、大変申し訳なく、また大変ありがたく思う。
父と二人で対応するが、私は正座が長く続かない。 痛い。 立てない。
時々、叔父に代わってもらう。
私は小学校の低学年までしか、この地にいなかった。
従って、弔問のお客様もどのような関係なのか、わからない人が多い。
その都度、隣の父に聞く始末。
中には、私の名前を呼んで話しかけてくれる人もいる。
でも、私は存じ上げない。
日頃のご無沙汰を申し訳なく思う。
年1回、お盆だけの里帰りでは当然の結果か。
お客様が帰られてから、手伝いに来てくれているご近所の方々や親戚と夕食をとった。
この方たちも、自分の家の用事は置いて、手伝ってくださる。
お客様をもてなす食事をつくったり、あと片付け、受付、お葬式の手配等、まるで自分のことのように助けてくださる。
私は遠くの土地で暮らし、この方々のお手伝いをしたことがないのに。
こんなにも、他人の為に尽くせるものなのか。
私の知らないところで、父や母がこの方々と密接に交わり、生活している様子がみてとれる。
それにしても、ありがたいことである。
互いに助け合い、また助けてもらう。
自分たちだけでは何もできない。
私もいつかお返しをしなければ。
明日はお葬式。